元留学生インタビュー 2回目(池田圭太君)

2013年3月~2015年11月までブラジル留学をしていた池田君に当時のことを思い出してもらいながらインタビューを行いました。当時のことを色々と語っていただきました。

簡単に自己紹介をお願いします。

池田圭太と申します。

問題なければ年齢とか経歴を教えてください。

今27歳で95年生まれです。
サッカー経歴でいうと、小学校の時にヴェルディレスチジュニアに入っていて、そこから中学もレスチに上がっていって、高校は柏日体高校に上がっていきました。
そこから高校卒業後にブラジルに行き、その後ブラジル生活を終えた後、日本で横浜猛蹴という、当時関東1部リーグのチームで半年ほどプレーをさせてもらって、そこからオーストラリアに行き、オーストラリアでは2チームと契約をして、オーストラリアでは地区のリーグでは優勝しました。
その後マルタに行き、マルタでは本当の意味でのプロ契約ができました。
その後ポルトガルに行き、契約を勝ち取り半年ほどプレーをして引退を致しました。

実際、ブラジルは何年ぐらい行っていたんですか。

ブラジルは3年ぐらいです。高卒から3年で21歳ぐらいまでです。

了解です。今は何をやっているんですか。

今は一般の企業に勤めていて、IT×人材の営業をしています。

だからそういう格好をしているんですね。

そうですね。

普通はITの人たちはなかなかそのような格好していないから。

そうですね。基本的には、会社はみんな私服でTシャツなんですけど、僕は日本に戻ったタイミングでスーツの方が良いなというのがあって、着ています。
みんなTシャツとかで、ちょっと浮いているぐらいなんですけど。。。笑
でもスーツだったら相手がもしお堅いところでも柔らかいところでも間違いないなっていうので着ています。

素晴らしい。ポルトガルを終えて日本に帰ってきたっていうじゃない。それで気持ちを切り替えて、社会人になろうと。

上を目指すって考えた時に、ちょっと厳しいなって思ったら、
トップには絶対に行けないと思うので、その時点で辞めようっていうのは決めていて。
だらだらやるっていうのが性格には合わなかったので、それできっぱりやめました。
そこまである程度期限を決めて、色々毎年やっていたっていうのがあって、そこに達しなかったら辞めようっていうのは毎年決めていたことなので。
毎年勝負でポルトガルではそれを達成できなかったので、もう辞めるという感じです。

そうだよね。留学する時点で、自分の中で何年、その後何年、日本に戻ってきても猛蹴の時も同じようなこと言っていたよね。そこで悩んで、その後もう1度オーストラリアとかにチャレンジして、ある程度自分の中でダメだったらっていうのを決めていた。でも全然違う業界に飛び込んだわけだけど、その後サッカーに携わる、例えばコーチとか、もっと言えばブラジルに行っていたわけだから通訳とかもできたわけじゃない。

それで言うとやっぱり今吸収できるうちに色んな別業種、全く知らないところに飛び込みたいっていう、ちょっとワクワクの方が強くて、全く違う業種に行ったっていうのと、後々はブラジルのこととか、海外、オーストラリアとか、色んなところに絡むことをやりたいんですけど、広い視野で見れるようになりたい。あと選択肢を増やしたいっていうのが色々あって、全く別の業種に飛び込んだっていう形です。

そうだね。今のタイミングで色々な世界を見た方が良いかも。最終的に何を選ぶかっていうのが大事だと思うので。ブラジル留学について、なぜブラジルを選択したのかを教えてください。

ブラジルを選択した理由は、もともとレスチで繋がっていたというのはあるんですけど、ブラジルの代表のサッカーがすごい好きだなと思っていたのと、その当時というか、その時もヨーロッパが上に上がってきたっていうのもあったんですけど、やっぱりブラジルが世界のトップだなと思っていたので、1番強そうなイメージでしかなかったです、最初は。
強そうなところに飛び込みたいなっていう。
あとはプロになるっていうのを決めていたので、それで大学に行くのか、海外に挑戦するのかっていうところで、プロになるっていうところも加味した上でのブラジルを選択しました。
もしブラジルで諦めずにやれば、絶対にプロにはなれるだろうなっていう、根拠のない自信があったので、ここを耐えれば行けるっていうのがあって、ブラジルを選びました。

その3年の間にいくつかのクラブを経験していると思うんだけど。

まずイトゥアーノに行って、その後ピラスヌンガに行って、その後ジャバクアラ。ピラスヌンガからイトゥアーノへ1回戻って、そこからジャバクアラに試合に出るために行って、そこからまたイトゥアーノに戻ってっていう形で、所属したのは3チームですね。
ただ、PSTCとかへテストに行かせてもらったり。あとはノヴォペラリオも行って。ノヴォペラリオは僕が厳しいなってなったので。笑 クラブ自体の環境厳しくて。

すみませんでした。

いえいえ!
そこでリカルドさんと会えて、それは自分の人生にとってすごい良かったなと思っていて、色々一緒にいてくれて、メンタル的な部分をめちゃくちゃ教えてもらったというか。
変に考えすぎないところとか。リカルドさんがめちゃくちゃ教えてくれて、行って良かったなって思います。

ありがとうございます。

あと余談なんですけど、ノヴォペラリオで一緒に暮らしていたチームメイトが、オーストラリアでたまたま再開したんですよ。ノヴォペラリオでキーパーでやっていた選手がオーストラリアの選手をやっている時に、その彼はサッカーじゃなかったんですけど住んでいて、それで結構ずっとオーストラリアで一緒にいたっていうのがあったので。

縁だね。なるほど。ブラジルのクラブによって全然待遇も規模も内容も違ってくると思うんだけど、だいたいブラジルの場合って、1日、1週間、1ヶ月の流れっていうのがあるじゃない。そういうのも話してほしいなっていうか。どういう風なスケジュールになっているのかを。

1日で言うと、基本的には午前中は練習で、朝ごはん食べてみんなで寮っていうか、食堂でご飯を食べて、その後みんなでグラウンドに向かって、2時間ぐらい練習して帰ってきて、お昼を食べて昼寝するみたいな。時期にもよるんですけど、午後も練習があったり、練習がない時はジムに行ったりという形で生活していて、夜はまた食堂に行ってご飯という形で、平日はサッカーだけ。サッカーと休むことみたいな形の生活ですね。

土曜日に試合が基本的にあったので、金曜日は調整みたいな形で、そんな重いメニューをせずに土曜日に試合をして。その次の日がオフが多くて、たまにリカバリーとかするんですけど、次の週の中日とかが試合になっちゃうとオフはなくて、土曜日試合して日曜日はリカバリーで走ったりっていうのもやって、月、火でまた調整して水曜日試合っていうパターンと、土曜日に試合をして来週の土曜日になったら日曜日はオフで、月曜日からまたリカバリーというか体を上げていって、土曜日は試合をやる。ホント時期にもよるんですけど、公式戦が始まっていない時期は、2部練が多かったりもして、午前中練習の午後筋トレ、フィジカルトレーニングっていうのが主だったかなと。チームにも本当によるなと。

僕は2年ぐらいいたので、イトゥアーノは基本的にそういう形で、他のピラスヌンガとか、ジャバクアラとか、ノヴォペラリオとかは、ちょっと練習は少なかったかな。午前だけで後は各自みたいなのが多くて、イトゥアーノはすごい管理されていて、午前と午後もある程度やるみたいなのが多かったっていうイメージですね。

3チームの中でも、イトゥアーノは中堅クラブですが名門中の名門だからね。だからそこから数多くの名プレーヤーも生まれているし。イトゥアーノはそれなりにしっかりしたクラブだと思うので。

あとは僕の場合はイトゥアーノとかだと、時間はもちろんあるんですけど、そのために休んで明日の練習のために備えておかないと、ダメだったら本当に違うチームに行かされそうだなっていうのがあって、そういうのもあったので、あんまり遊ぶっていう感覚にならないというか。時間はあるけど、体を使うことはしたくないみたいな形で、みんなちゃんと休んでいるっていうのもあるんですけど。

練習だけじゃなくて、体を休めるっていうのも1つの義務っていうか。フェルナンドっていうすごい管理するオジさんがいたからね。

管理されていましたね。

なるほどね。もちろん高校卒業して行って、多分フィジカル面とかでもその差を感じたと思うんだよね。だから自主的にすぐ近くにジムがあって通っていたっていうのを聞いたけど。

はい、そうですね。本当にプラスアルファのことをやっぱりしないといけないっていうのがあったので、ジムで鍛えて。平日の午後は休みが多かったりするので、その時は基本ジムに行って鍛えてっていう形でしたね。

その体作りっていうのも大事だけど、その辺のメニューっていうのは、例えばフィジカルコーチか、または専属トレーナーにある程度指示をしてもらってたのかな?

そうですね。聞くっていう感じですね。
自主的にやっているのですが聞いたら基本的に教えてくれるので。
あとは自分で高校時代からのやり方と合わせて、どういったことをやった方が良いのかなっていうのを聞いてやっていましたね。
筋肉を付けるだけっていうよりかは、どちらかというと足とかのサッカーで使える筋肉が大事だったりするので、そういうのも結構やっていました。

サッカーで使う筋肉って、他のスポーツの選手と違ってくるからね。あと食べ物に関してはどうだった?

僕は好きだったんですけど、基本的には同じというか、日本も正直同じかなと思うんですけど、パサパサ系のお米とフェジョンは毎回出て、お肉とサラダという形のご飯が基本出てきて、それもチームによるので、チームで良いところは美味しいご飯なんですけど、ちょっとそんなにお金がないクラブとかだと、本当に米とフェジョンとちょっとしたものぐらいしか出ないのも全然あったので。ご飯に対しての自由に食べれないからこそ、ちょっとしたストレスがあったかもしれないですね。

苦手なものとかはなくて、結局ブラジルの寮に関しては抵抗は全然なかったという。

全然大丈夫でしたね。

日本に帰ってきても食べたくなるでしょう?

本当に食べたくなります。

マヨネーズとケチャップは問題なかったのかな?

全然問題なかったです。

アサイ―は食べに行ってた?

アサイーは本当に1番好きでしたね。

ポン・ヂ・アスーカルでしょう。寮から歩いて数分のところ。

はい。もう本当にチームメイトとめちゃめちゃ行っていましたね。

あそこWi-Fiも使えるよね。

Wi-Fiも使えて、涼しくて。寮にクーラーとかなかったので、みんなでそこで食べるみたいな感じでした。

ブラジルは暑いと言うけれども、結構エアコンが付いているとこってそんなに無いんだよね。オフィスとかじゃない限りは、一般家庭とかは…。

慣れますね。本当に慣れるなと。

クラブによってある程度違ってくるとは思うんだけど、基本的には100%サッカーに専念できるというような環境?

そうですね。サッカーに専念できると思います。

練習着から何から全てを担当する、ホッペイロ(用具係)の方々は3チームともちゃんといた?

ちゃんといました。でもやっぱり自由な時間があるので、そこをどうやるかみたいなところも正直あるかなと思っていて、そこで結構主体性みたいなところは培われるかなと思います。だからそこが結構できないと苦しいかもしれないです。言われてやるのが得意な人、言われないっていうのもあるので、ある程度の練習だけやった後は、自分で何が必要なのかみたいなのを考えてやるっていうのもあるので、そこは結構鍛えられるかなと思います。そこが鍛えられるのは結構大きいかなと思っています。

実際に向こうでの苦労っていうのは、自分本当にこれは苦労したなっていうのは何かあるかな?

最初は本当に言葉が通じなくて、通じない上にサッカーも全然ダメだったので、最初衝撃を受けるというか。最初にイトゥアーノに行ったからというのもあるんですけど。
日本だったら100何人いてもスタメンでエースみたいな感じで、それがブラジルに行ったら1番下みたいな感じになっちゃうので、そこは結構すごいギャップだなっていうのがあって。あんまり出られなかったこととかなかったんですけど、そこでいきなりドーンと落とされて言葉も喋れない。生活に関しても最初は寮でみんなギュウギュウみたいな部屋にいて、これは大変だなっていうか、それ以外のことも結構辛くて。今、思えばすごい良いことなんですけど、その当時は本当にハゲるかなって思うぐらいやばかったです。
あんなに意気揚々とみんなに「行ってくるわ」みたいな感じで行ったのに全然ダメで、言葉も喋れなくて、生活も最初の方は適応できなくてっていうのがあって。
その時はそこでネガティブな気持ちにめちゃくちゃなったんですけど、でもブラジル人は結構優しくて、そこでめっちゃ救ってもらったというか。ブラジル人の優しさとお節介なところも良いところも悪いところもあると思うんですけど、その時は助けられて復活したみたいな感じでした。

そうだよね。通訳もいるわけじゃないからね。チームメイトとかスタッフの人たちとか、ブラジルはそういうところはすごくやっぱり親切に受け入れてくれるっていう国民性が、自分はあると思うんだけど、だから多分そういう風にできたのかな。

本当にそう思いますね。

逆に今言ったお節介というのもあるけど。

そうですね。でもそれは最初の頃に何もわからなくても本当に優しいなってずっと思っていて。本当に優しくて。

もちろん言葉のことは仕方ないとしても、サッカーに関しては、自分で行ってすごい壁にぶつかったって言っているけど、日本では柏日体で普通にレギュラーもやっていたわけじゃない。技術もそれなりにしっかりあって。でもいきなり行って、そのギャップというのはどの辺にあったと思う。フィジカルとか、色々…

フィジカルも本当にそうだなと思うんですけど、あとは球際とか、本当に本気で勝ちにきている。1個1個の球際が本当に勝ちにきているなっていうので、怪我しちゃうからみたいな形で引いちゃうと全然ダメで。あとテクニックはあったと思うんですけど、優しいパスとかミスしないテクニックって、ブラジルのレベル高いところだと、こっちを意識したパスというよりかは、通るためのパスみたいなものが結構速くて弾丸みたいなのが来たりして、それを納めるのが当たり前みたいな形だったので、最初は「何でそんなパス出してくるんだよ」みたいな感じになっていて。でもやっていくうちに、やっぱりそういうレベルでやらないと強い相手とか、レベルが高くなってくると本当にそれぐらいの強いパスじゃないと通らないんだなっていうのがわかったので、そこに適応するのも最初は難しくて。パスって結構相手を思いやって優しくっていうイメージだったので、日本のサッカーだと。ブラジルは通すためのっていうか。

そうだよね。要するにアプローチも早かったりするので、結局はインターセプトとか、カットされないためには強いパスを通す必要があるというか。

最初は「何でだ?」と思ったけど、やっていくうちにやっぱりそうじゃなきゃダメなんだなっていうのをすごく感じたので、それでどんどん適用していって、自分の良さっていうところも活かせるようになってきて、認められてきてエースになっていった。最初とかは本当わざとこんな嫌なパス出してきているのかなって思うぐらい。でもそれって最初からそういう意味じゃなくて、後々になってもそういうパスが出てくるっていうのを考えると、やっぱりそれがスタンダードなんだなって。

ずっとフォワードだったんだっけ?

ずっとフォワードでサイドハーフとかもやっていました。中学の時はサイドバッグとかやっていたんですけど基本的にはブラジルだと前じゃないとちょっと厳しいかなっていうのがあって。

日本と比べてブラジルのサッカーの展開とかスピード感というのは違う?

ブラジルは早いところは早いですけど、ずっと早いっていうよりかはちょっと落ち着く時間とかも作ったりして。

メリハリをしっかりしているというような。

そうです。

行く時は展開早いし、抑える時はしっかり抑えてみたいな。

そうですね。だから競技負荷が結構高いんですけど、ずっと走っているわけではない。だから本当に強ければ強いチームほどそんな感じがしましたね。メリハリの時が速くて、でも足に疲れがくるみたいな。ずっと走っているわけじゃないんですけどっていうのがあったので、本当にちょっと違うなと。それで活きる・活きないっていうのがあると思うので、日本でそんなに活躍できないっていう感じの人でも結構活きる人もいるかな。カズ(他の留学生)とか短期で行っていたじゃないですか。カズとか日本だと速いだけみたいに思われて、テクニックはあんまりある方じゃなかったので。ただブラジル来て良いところを伸ばすみたいな見られ方をするので、カズとかめちゃくちゃ早かったからそこで結構評価されているなっていうのを監督からも聞きました。活きる可能性がある人とかが行ったら化ける可能性がすごいある。

彼は評価は高かったです。やっぱりズバ抜けたスピードを持っていたので。向こうの監督が言っていたのは、「スピードを活かすところをしっかり覚えればすごい良い」って言っていて。彼は短期で行ったじゃない。「あいつ戻って来ないかな」なんて言われて、一応本人には伝えたんだけど、結局戻れなかったというか、戻らなかったんだけど。だから、彼に話を聞いていたら、やっぱり何か違うんだよね。「え?」っていうような。でも、ブラジルではすごい評価高かったよ。このスピードを活かさない手はないっていう。あとシュート力があったんだよね。

そうですね。シュートもすごかったですね。

パンチあったんだよね。

本当にそうですね。活きるところで使われれば、ブラジルとかは本当に合っていたと思うんですけど。日本だと高校の部活が百何十人もいて、その中で監督の好き嫌いとかもあったりして、まんべんなくできる選手が好まれたりするので。
でもストロングポイントを持っていて、本当に行けると思っている人だったらチャレンジするのは、僕はアリかなと思います。

その辺の捉え方というか、高校とブラジルのクラブっていうのは違うからね。考え方が全然違うから仕方ない部分もあるんだな。ちょっと話を進めましょう。普通にいつも飯を食べながら雑談をしているようになった…。そして、実際に3年間いてブラジルの治安はどうだった。色々日本では言われているけど。

スリはあります。僕もiPhoneとか取られたりしたので。ただ危ない所とかは避けていれば基本的には大丈夫かなっていうのと、あとはそんな危ない所に好んで行かなかったっていう。サッカーで来ているっていう気持ちがあったので、これで何か起きちゃったらやばいなっていうのが根底にあって。もちろん僕はチームメイトと遊びに行っていたタイプなんですけど、やばいなっていう所をチームメイトも教えてくれます。ちょっと危ないかもしれないみたいなのも教えてくれたりするので、そこを避けていれば基本的には大丈夫かな。ただ寮に1回強盗が入ったことがあって、その時は怖かったですね。警察官も入ってきて、銃を向けられた時は、その時はちょっとやばいなって思ったんですけど、それぐらいかな。

極端に日本でみんな思っているほど治安が悪いわけでもない。もちろん日本だって危ない所には危ない時間帯に行ったら危ないのと同じ。ただブラジルの場合はそういう所に行くと危ない度がちょっと高い。ちゃんとその辺を守っていれば。

大丈夫です。

あとブラジルの情報としてだけど、交通の便に関して教えてください。

そうですね。バスが結構発達しているので問題ないかなっていうのと、逆に僕からしたらサッカーしに行っているっていうので、不便さも良いことだなと思っていて、集中しないといけない環境に自分を追い込まれるっていうのもあるので、今どれだけ発展しているかわからないですけど。その当時はちょっといかないとどこかに行かないみたいな感じの方が、変に遊びに行ったりしなくて良かったかなっていうのはあります。

イトゥアーノ、ジャバクアラ、ピラスヌンガ。この3ヶ所ともに環境そのものは良かった?

良かったですね。

サントスは結構都会だったでしょう?

そうですね。サントスは海までめちゃくちゃ走って行っていました。

そうだよね。走って行けるんだよね。イトゥーがメインになってくると思うんだけど、寮での生活に関してどうでしたか?はじめ行った時は大部屋みたいなところで、でも落ち着いてからはどういう部屋割りでしたか?

落ち着いてからは3人部屋か4人部屋みたいな形で、チームメイトと常に一緒にいる感じで本当に良かったですね。やっぱり寮の方がいいなっていうのは言葉も覚えますし、ライバルでありつつ、仲もすごく良くなるので。基本的にはみんな仲良くなるかなと。それも結構チームによってっていうのは、僕はすごく感じていて、強いチームであればあるほど仲良くなるっていうのがあって、そんなに強くないチームだと盗んじゃおうとかっていうのが結構あったりするので、良い物を持っている、盗んじゃおう、みたいなのは警戒して、そういう危機管理能力みたいなのもすごい身に付くかなと思います。

特に嫌な思いっていうのはなかった?

嫌な思いはなかったですね。本当に楽しかったです。

ブラジルの場合は日本と全然違って思い通りに物事が進まないじゃない。急にスケジュールが変更になったり、いきなりオフになったり。1ヶ月のスケジュールがあってないようなもんじゃない。場合によっては1週間単位でなかったりするじゃない。そういうものに対してどう思った?

それは最初は「何で?」みたいなのが、すごいストレスだったんですけど、でもそれも慣れるというか。そうなったら他のことをやろうとか。臨機応変に対応する力は本当に付いたと思います。それって今の仕事とかでも稀にしか起きないんですけど、なんとも思わないというか、前のブラジルで起きた理不尽さというか、急な方向転換と比べると「あー」ぐらいにしか思わなくて、それがヨーロッパでプロをやっていた時とかも、ちょっとあったりしたんですけど、そんなことでいちいちあたふたしなくなったというか。

逆にそういう面でも色々得ることがあったということですね。対応能力というか。

本当に強くなったと思います。

重複するかもしれないけど、留学を通して全体的にどういう風に感じたのかというのと、もちろんサッカーで行ったけど色々得ることがあったと思うんだけど、自分にとってプラスもあればマイナスもあると思うんだけど、その辺を聞かせて欲しい。

マイナスは正直、僕は無いかな。マイナスでいったら時間ぐらい。それって別にマイナスじゃないっていうか。あとは本当に上手くいかなかったことの方が結構多かった。8割ぐらい上手くいかなかったことの方が多いかなと思うんですけど。行って悪かったと思うことは、今思うと全く無くて。サッカーも上手くも強くもなれるかなと思って、ブラジルに行ったからこそ、ヨーロッパでプロになれたと正直思っているので、オーストラリアとかだとブラジルとレベルの差がありすぎるので。オーストラリアだったら全部任されるみたいなレベル感になっていたりもしたので、やっぱりブラジルはすごいレベル高かったんだなって、その時に感じたりもしました。

日本に帰ってきて、社会人になった時も、日本人ってすごい上手いと思うんですけ
ど、本当に球際は負けないっていうのが根付いているブラジルでやったことで、やっぱりそこもめちゃくちゃ強くなったと思うし、適応能力も付いたし。
あとは良い仲間たちがめちゃくちゃ僕は出会えたと思っていて、今もみんなすごい連絡を取り合うんですけど、それもすごい僕にとっては財産かなと思っていて。やっぱり本気でやっていたからこそ、この前会った時も前と同じような感覚で会えるっていうのがすごい良かったなと。寮で一緒にいた時の感覚だったんですけど、そういうのも、すごい今となっては財産だなっていうのは思います。

そうだよね。言われてみればクレイソン(現V・ファーレン長崎)も大活躍しているしね。ブラジルでマルコンも一緒だったの?

マルコンも一緒で、今も連絡を取っていて、今じゃ中国でスーパースターで、韓国でもMVPを取ってたみたいになっていますね。
多分当時はクレイソンの方がすごさで言ったらすごいかったのですがマルコンはアジアでブレイクしましたね。それも輝く場所みたいなところもあったりして。

タイプが違うからね。

あとはルイス・フェリペとかも。

ルイス・フェリペってどこにいるの?

今はリーガ・エスパニョーラのレアル・ベティスっていう所にいます。

みんな世界で活躍して。たまたま僕の一緒にいたチームメイトがあり得ないぐらい飛躍したっていうのはあると思うんですけど。まだ終わって5年、6年とかですけど、今になってみると本当に良かったなと思うので。

ブラジル以外にも行っているんだけど、ブラジルでの3年は決してムダじゃなかったという感じかな?

絶対ムダじゃないです。

例えばチーム内でもなんでもいいんだけど、特別トラブルとかっていうのはあった?

トラブルの度合いかなと思っていて、小さいトラブルは毎日のように起きていたので。トラブルはそんなに無かったかなと思います。エジソンが色々やってくれたので。でも本当に見ていく中で、エジソンとマリーニョが協力してやってくれていたじゃないですか。じゃなかったら、もっととんでもないトラブルいっぱい起きていたなっていうのは、なんとなく感じますね。

そう言っていただければ、こっちも嬉しいけどね。自分だってもっともっとやってあげられることもあったかなって未だに思っているんだけど、それは本当に申し訳なかったです。私は現地にいないからね。現地にいればもっともっとしてあげることがあったと思うんだけど、やっぱり日本からだとね。さっきの話の中で語ったと思うんだけど、根本的な日本とブラジルのサッカーの違いっていうのはさっき言ったようなことかな?

そうですね。僕も別に日本人がハングリー精神無いとは全く思わないです。みんな頑張っているし。ただちょっと違うハングリー精神っていうか。

わかる。

ちょっと違うハングリー精神がブラジルと日本の違いかなっていう。

言いたいことはわかるわ。

何て言語化したらいいのかわからない。

背負っているものの違いだよね。

そうです。

それはあると思う。ブラジル人はやっぱり1人1人が色んなものを背負って日々臨んでいるから重たいんだよね。

そうです。本当そうです。

あとポルトガル語自体はどうやって覚えたの?

僕は本当にみんなとずっと喋ってばっかりいたり、遊びに行ったりとかしていたので、練習とかの言葉はすぐ覚えると思うんですよ。だいたい使うこととか一緒なので。友達の友達に会う時とかって、いつもと違う言葉が出てくるというか。そういうのは多くしていたので、それで結構覚えたっていうのがあります。だから遊びに行くこともめちゃめちゃ大事だと思います。

ブラジル人って単語1つ2つ返せればペラペラ話してくるからね。

そうです。

何回も同じことを言ってくるじゃん。だから聞き取りやすい。早いよね。言葉を覚えるのは。

本当に聞き取れるようになると思います。

あとはブラジル料理で好きだったものは?

アサイ―とシュラスコですかね。

やっぱりアサイーか。

アサイ―は本当に美味しいですよ。

逆に苦手だったもの。これはできればそんなに口にしたくないかなぐらいの。

癖が強すぎるのは、豚の耳とか毛が付いていたりとかはちょっと。でもブラジル人はめちゃめちゃ好きなので、そんなこと言えないです。ブラジル人の前で「うわー」とかで言うと。

あと実際にブラジルで私がずっと圭太を見ていて、本当にイトゥアーノっていう実際にそれだけのレベルの高いところにいたわけで、なかなか向こうで契約はしていても、本当にプロとしてレギュラーを取れるかというと取れなかった。圭太のレベルで行けば他のジャバクアラとかピラスヌンガだったら、多分しっかりとスタメン取れていたんじゃないかなと思うんだけど、それでもやっぱりイトゥアーノに残ることに意味があったのかな?

そうですね。本当にレベルが高かったというか、本当に僕の性格もあるんですけど、自分が1番っていうところに行ったら衰退するだけだなと思っているので、常に入れ替わりがあって、すごい選手とかがいっぱい入ってくる環境にいた方が、やっぱり修行みたいな気持ちでは行ったので。

もちろんプロになることが目的だったんですけど。そこで耐えたら多分なれるだろうなっていう自信があったので、それをブラジルの他のチームに行ってっていうことじゃなく、結局ヨーロッパになったんですけど、本当に目指すところの差かなだと思っていて。

ただプロになれればいいっていう感覚ではなくて、プロになって活躍したいっていうのがあったので、より厳しいというか、常に怖いというか、状況にいたくて、いさせてもらったっていうのもあるんですけど。それを望んで、そういう風にしてもらって。結局ヨーロッパでプロになれたのもそのお蔭かなと。

ブラジルでプロになるって大変だよね。もちろん契約はできても、真のプロになるっていうのは。ブラジルに行く場合、今後色んな希望者がいると思うんだけど、行く前に準備しておいた方がいいような基本的なアドバイスってある?

言葉は僕まっさらで行ったんですけど、ちょっと言葉は覚えた方がいいかなっていうのは思ったりして、最初の挨拶ぐらいは。あとは行ってみないとわからないなと思っていて、行ってみて本当に耐えられない可能性はあるなと僕は思っていて。僕とかも本当に意気揚々と行ったのに、これ本当に恥ずかしいけど帰りたいと思ったりもしたので。全部断ち切って行った方がいいと思います。ちょっとした戻れるみたいなものがあると、結構厳しいので戻っちゃおうかなと思って戻れちゃうと、もったいないというか。

3年間1回も戻ってないんだっけ?

1年ごとには戻っていました。

戻っていたんだ。

毎年。

戻っても「また行くぞ」っていう気持ちになって、戻って「もういいや」っていうんじゃなくて、それが大事だよね。

だから1回戻るっていうのも、結構僕の中で「さぁやるぞ」みたいな気持ちを高めてっていうので、心はグッてなるんですけど、それも鍛えられたっていうのはありますね。厳しい環境に行くぞっていうのを3回も経験したっていうのが。だから他の海外に行く時も何とも思わなかったっていうか。

たくましくなるっていうのかな。そういうのって。一概には言えないけれど、少しは言葉を勉強して行った方がいいよと。あとフィジカル面とかも少しはやって行った方がいいのかな?

向こうでやった方がいいかなと思っていて、筋トレとかもブラジルと日本でちょっと違うかなと思っていて。今、進んでいるので日本でも。同じようになってきたかなとは思うんですけど。行ってからで、そこは大丈夫かなと思います。

1番は言葉と、いかに早く向こうのチームメイトの環境に馴染むかどうか。

あとはもう恥じらいは無くさないと溶け込めないので、溶け込むことって結構重要かなと。

自分から積極的に溶け込んでいくという…。でも、その後オーストラリア、ヨーロッパと行っているけど、そのままヨーロッパに残っていても一部リーグとは言わないけど、結構日本人行っているじゃん。行っている人たちのレベルをどうこう言っているわけじゃないよ。でも、同じように大金とは言わないけど、生活費ぐらい稼ぎながら実際に頑張っていれば今でもできているよね。

そうですね。できたと思います。ポルトガルはお金の払いがあまり良くないので、国を選んで行けば全然生活できる。国を選べば行けたかなというのもありますし、そうなってくるとやっぱり自分の目標と違うので、そういうのはしなかったです。
例えば東南アジアでチャレンジしたら行けたんじゃないかなっていうのがあったり。カンボジアも少し行った時にオファーを貰ったりもしていたので、カンボジアで今やったら多分違うなっていうので、行かなかったっていうものありました。

やっていればいいわけじゃなくて、何を目指しているかっていう。了解です。

最後に、これからブラジル行きを考えている選手たちに、最終的にブラジルを考えているんだったら行くメリット・デメリットを考えると、やっぱり行った方が良いのかな?

絶対僕は行った方が良いと思います。

今の仕事は営業で、数字追わないといけないっていうのがあるんですけど、ブラジルを経験すると追うとか、厳しいなっていうのは僕は思わなくなりました。
営業でももっと厳しい環境とかはもちろんあると思うんですけど。
ストレス耐性も付いていますし、戻ってきた時色々と耐えられるなって思えるので。
もしサッカーがダメだったとしても、考え方ってあまり変わらないかなと思うので、地道にやって、別の事でもうまくいかせて、それを僕が体現したいみたいなところで営業をやっているっていうところもあって、やっていることは違うけど、やり方は
そんなに変わらなくて、結果を出せるっていうのは、今は結構自信になっているかなと思いますね。

じゃあ総合的に考えると本当にブラジルに行けて良かったという風に思って良いのかな?

はい。本当に良かったです。

また遊びに行きたい。ブラジルに?

本当に行くって決めているので。

今度はまた何か向こうで、いつか例えばサッカー業界に戻るんだったら、今度はコーチか何か知らないけど、指導者の勉強をしてみたい?

戻るんだとしたら、僕、指導者があんまり。セイントフットでやらせてもらったじゃないですか。ちょっと合わないかなと思うんですよ。ちょっと感覚でやっていた感があるので。そうですね。そっちよりかはエジソンみたいな繋ぐ形の方が合っているのかなとは思っていて繋ぐ側に行きたいです。

じゃあぜひ一緒にやろうよ。結構大変なんだけど楽しいよね。レスチ(時代)でブラジルに行っているんだっけ?

行ってないです。行こうとしていて行かなかったっていう。

なるほどね。そういう遠征をずっとやって来ていたじゃん。もちろん大変。日本の場合って、事前に全部1時間刻みでスケジュール出して、全て提出しなくちゃいけない。ブラジルは全然そんなことないじゃん。

そうですね。

その1週間の間で何が起こるかわからない。だからそれをどう帳尻合わせて、最終的にはこっちが提示したものよりプラスアルファを行なって喜んでもらえるっていう、それはやっぱりすごいストレスで大変だけど、でも楽しい。すごい楽しいよ。逆にそこからまた今度はブラジルに留学してくれる選手が出てきたら。

そうですね。本当にやっぱり僕レスチに行って、行った組も友達なので、行って良かったのは、今でもブラジルのエースの話とかしていますし、思い出にもすごいなって、それってすごい幸せだなって思うので。間近で見ているからこそ、やってみたいなっていうのはすごく思います。

了解です。いつでも手伝う気になったら言ってもらえれば。ありがとうございました!

対談はおよそ1時間にわたって行われました。

ご協力してくれた池田君ありがとうございました!

ブラジル留学時代

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